竹工房資料室 佐々工房
読み物 > 「竹のこと通信」⑥若き竹職人
平成29年3月(2017年)
若き竹職人
◇府中郷土の森博物館へ
 2月の下旬、友人と府中市郷土の森博物館に梅見に出かけました。ここは東京都の梅見スポットの第2位で、1100本の梅の木があるそうです。ちなみに第1位は高尾梅郷で1万本。
 日曜日で天気もよかったせいか、入場券売り場には行列ができていました。梅は8割がた開花と、行列を整理する係員から説明がありました。
 行列のわりにさして待つことなく入場。入ってしまえば、園内は広く、ゆったりした雰囲気です。
 野点の茶席のそばで、小さな案内板を見つけました。ふるさと体験館で竹細工の実演をしているとあります。午前中は12時まで。まだ30分以上あります。行ってみることにしました。
 府中市郷土の森博物館は「約14ヘクタールの敷地に、府中の、歴史や風土、自然が紹介された本館、プラネタリウム、八棟の復元建造物、芝生広場、梅園、池などがあり、施設全域が博物館というフィールドミュージアム」だそうです。
◇竹細工の実演をする若い竹職人
 ふるさと体験館は、昔あそびや手作りのものを、作ったり遊んだりできる場所ということで、その日もなにか親子で作っている様子でした。でも私たちのお目当ては、竹細工の実演なので、そちらへ。見ると、若い男性が(20代後半ぐらいか)ちょうど輪口編み(放射状に竹を組む編み方)をしているところでした。
 半割りされた青竹と、はじに置かれたザルやカゴを見て「青物」を作る人なのだとわかりました。輪口編みの材料も、2節分の長さの青竹です。
 山から伐りだした、自然そのままの竹でカゴなどを編む竹細工のことを「青竹」といいます。昔の竹の生活道具はほとんど青竹で編まれていました。野菜の水きりや米研ぎなどのそうした道具は「青物」と呼ばれ、青物を編む職人は「青物師」とも呼ばれます。彼はその職人のようでした。
 何を作っているのか聞くと、鯉のぼりのてっぺんにつける飾り玉だといいます。普通、見かける鯉のぼりのてっぺんは、金色の金属の丸玉ですが、昔は竹の飾り玉をつけたといいます。注文があって作っているということで、取り付けた状態のものを、スマホの写真でみせてくれました。
 一緒に行った彼女は実家が竹屋さんで、しかも、お兄さんがその跡を継いで今でも営業しています。彼女がそこの娘だと名乗ると、その名前に聞き覚えがあったのか、ただの冷やかしではないと思ってもらえたようです。
 一時期、お兄さんの商売を手伝っていたこともあって、彼女が、日本の竹はもうだめで、今、扱っているのは中国の竹ばかりだと言うと、彼も竹の調達の苦労話をしました。竹林の持ち主に竹を伐らせてほしいと頼むと、まずは整備をしてくれと懇願されるそうです。それが大変でと笑っていました。
 どうして竹細工に興味をもったのか、という質問に、はじめは自分も、そちら側にいて、編んでいるのを見る方だったと言います。そこからどんなふうに道が定まって、見られる側になったのか。弟子入りして修行した話をしてくれましたが、誰もがこうした場所で実演できるわけではありません。
◇竹細工と竹工芸
 私たちが竹工芸をしていると知ると、自分はザルやカゴといった生活道具に興味があって、竹工芸の方は、という反応でした。地域によって、ザルでもその形容が微妙に変わっているため、その復元に取り組んでいる、という話もしてくれました。茶道の花籠や伝統工芸品を作る人はいるけれど、生活道具としての竹細工に注目している人が、地域にはいないということで、使命感もあるようです。
 宮本常一が関わっていた「あるくみるきく」という雑誌で、竹細工をたずねる、という特集があって、そこで地域による道具の差異について言及していたことを思い出しました。あるページに、日本全国のコメアゲザルの写真が掲載されていて、こんなにも形容の違いがあるのかと驚いたものです。コメアゲザルは、お米をといだあと、水を切るために昔はどの家庭でも使っていたようです。
 手入れの行き届いた鉈が2本、傍らに置いてあって、話をしながらずうっと気になっていました。おじいさんが竹細工をする人で、道具が残っていたことも、はじめるきっかけになった、と話していたので、もしかしたらその鉈は、おじいさんが使っていたものなのかもしれません。
 あまり邪魔をしても悪いので、この辺で退散です。
◇再び竹職人の作業を見学
 昼食を摂りながら、そして本来の目的である梅見の散策をしながら、彼について、しばらく話がつきませんでした。
 彼女は、あんな若い子が竹細工を志してくれてうれしい、と喜んでいました。竹屋に育って、小さいころからその生業を見てきた彼女の見聞は貴重です。中国から竹を輸入するようになったときは、お兄さんと一緒に現地に赴いたそうです。建築資材として竹が利用されていた時期もあったので、今は見かけない職人の仕事を知っていたりします。家壁は、昔は竹を編んだ上から漆喰を塗って・・・といった話を聞くと、そういえば見たことがある、と思い出しました。
 午後からの部にもう一度、顔を出してみようということになり、行ってみると、午前中、底組みだけだった飾り玉は、縁の始末を残して形になっていました。
 置いてあった半割りの青竹の表面が、あまりにきれいだったので聞くと、もみ殻で汚れを落とすといった話になり、もみ殻は、所属する竹工芸会でも油抜きのときに使っているので、そこからまた話がはずみました。
◇さすがに退散
 次回の講習や展示会のことなど聞き、名刺をもらって、お礼を言い、立ち去ることに。名刺の住所を見て隣町に住んでいることがわかり驚きました。
 帰りぎわ、そちらも展覧会や展示の予定があったら、教えてくださいと彼から言われ、はいと返事をしましたが、ためらいがありました。3月にバスケタリージャパン展、4月に女流工芸展と続くのですが、全国竹芸展のような竹工芸だけの展覧会ではないので、足を運んでもらうのは気が引けます。
 荒れた竹林を見ると、竹にはもう未来がないのか、と目をそむけたくなりますが、気づかないところで、こうした若い竹職人が地下水脈のように、育っているのかもしれないと期待を持ちました。
 気持ちが明るくなる出会いでしたが、彼にとっては、2人のおばさんにつかまって、災難な1日だったかもしれません。

参考:「水俣の竹細工」
トップページへ