竹工房資料室 佐々工房
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令和5年5月(2023年)
武蔵野美術大学・民族資料室収蔵庫へ
◇民族資料室収蔵庫について
 5月の連休後の火曜日に、武蔵野美術大学の民族資料室収蔵庫を友人と2人で見学しました。日本全国の民具が収集展示されているということで、以前から行ってみたいと思っていた場所でした。
 見学日は火曜日と木曜日のみ。武蔵野美術大学のギャラリーへは、行ったことがありますが、収蔵庫は初めてです。一般公開されていることは前から知っていて見学したいと思っていたのですが、曜日があわなかったり、コロナで一般人の立ち入りが禁止になったりで、実現までに時間がかかりました。
 収蔵庫には民俗学者、宮本常一が収集した日本全国の民具約9万点が収蔵されていて、その一部(約2万点)が公開されています。
 竹に関する資料を集めている過程で宮本常一が監修する日本観光文化研究所発行の冊子「あるくみるきく」特集 “竹細工をたずねる1”(1973年・№75号)と翌年発行の特集2(№94号)を手に入れました。この冊子で日本全国の民具収集について知ったのですが、それらの民具は彼が武蔵野美術大学に奉職したことで、大学の収蔵庫に移されたようです。
◇コレクションの成り立ち
 いただいた民族資料室の利用案内のパンフレットに経過が説明されていました。
 「コレクションの成り立ちは宮本常一(武蔵野美術大学名誉教授)が主宰した生活文化研究会が、全国より生活用具を収集したことに始まります。その後、日本観光文化研究所が博物館設立のために収集した約1万8千点の資料に加え、写真家の薗部澄が収集した郷土玩具が寄贈され、国内有数のコレクションとなっています」とのことです。
 「コレクション」は「自然素材から作られた生活用具をはじめ、信仰用具、郷土玩具、凧など」で「それらの多くは、高度経済成長期以降に生活の変化とともに失われ、現代では目にする機会の少ない貴重な道具です」
 宮本常一についてもパンフレットに説明がありました。
 「1907年(明治40年)山口県周防大島生まれ。全国を歩きフィールドワークに徹した民俗学者で代表的な著作に「忘れられた日本人」などがあります・・・」
 「忘れられた日本人」を含め彼の著作はずいぶん読みました。佐野眞一の「旅する巨人」“宮本常一と渋沢敬三”(文春文庫)も、当時の民俗学の現状、収集の様子などがわかって面白かった。その現物と対面です。
◇収蔵庫の中へ
 まずは事務所に行き見学したい旨をつげて書類に名前を記入します。5名以上の場合は事前の連絡が必要ですが、それ以下の場合は突然行っても大丈夫です。
 係りの方に案内されて収蔵庫に向かいます。収蔵庫がギャラリーの隣だったことにびっくり。
 以前そのギャラリーで「祈りの造型」「民具のデザイン」の展示を見ました。テーマを決めて時々収蔵品の中から展示をするようです。ですがその時は収蔵庫がその隣とはきづきませんでした。
 その棟のあちこちに昔ながらの農具や大きな甕などがずらっと並べてあって、全体が関連の施設だとわかるのですが、そこが収蔵庫だと明記した案内プレートはなかったように思います。気づかなかっただけなのか。
 ドアの手前に設置された開放式のロッカーに荷物を入れて入り口で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えます。係りの人が電気をつけると、スチール棚が整然と並んだ部屋が現れました。壁際には展示棚が並んでいます。
 「宮本常一は民族資料を理解するために、道具の使用目的に合わせた分類を試みました。収蔵庫ではその分類に沿った収蔵展示をしています」とパンフレットの説明にあるとおり、運搬、調整、住、信仰用具といったプレートがそれぞれのブロックに掲げられていました。
◇民具を鑑賞
 今回の目当ては竹で作った民具。籠やザル、農具などです。竹工芸の作品を制作しているので、昔ながらの竹製品には興味があります。身近で見かけることがほとんどないので貴重な体験。作品制作のヒントになればという気持ちもありました。でも民具全般にも興味があるので、どれもこれも見たい。
 どこからどう見ようかと相談していると、別の係りの方が登場。コレクションの成り立ちや部屋の民具の配置、データベースの検索方法などについて説明してくれました。
 収集は続けているのか尋ねてみると、現在はしていないということでした。いまあるものを整理するだけで手一杯だということです。ここで係りの方は退出。
 興味のあるものはひとまずおいて、はじから見ていこうということになりました。まずは着物などの布類です。藍染めの生地や座布団、布団、刺し子の着衣など。布は劣化が早いので、保存は大変だろうと、どちらからともなく声がでました。染みや汚れなどがあると、洗濯してあっても、そこからぼろぼろになってしまいます。
◇「こもれびの里」
 一緒に来た友人は昭和記念公園の「こもれびの里」でボランティアをしています。「こもれびの里」は「水田や畑、農家と屋敷林など、昭和30年代の武蔵野の農村風景や暮らしを再現した」場所だそうです。“昭和・武蔵野・農業 ”をテーマに「単に昔の風景を垣間見るだけでなく、農作業や年中行事など様々な体験を通じて、自然と暮らしの知恵を伝えていくことを目的に開園した」ということで、開墾して畑をつくり、昔ながらのさまざまな年中行事を行っているようです。
 そのため農作業も、今では農家で見かけることのない機械で行っていて、展示された農具を見て、これは現役で使っている、などと説明してくれます。これは稲の間にはえた草を刈る道具などといった具合です。草取りは手でするのかとばかり思っていましたが、そうした農具もあるのだと感心しきり。現役で使っている農具はほかにもあって、どんな作業で使うのか教えてもらいました。
 室内には2人だけ。今は見かけないけれど、幼いころあった火鉢や炭いれなど、めずらしいものがたくさんあって、つい声をあげてしまいます。制作の参考になりそうな籠やザルはしっかり写真撮影します。箕もいろいろな材質で作られたものが壁に掛かっていて、興味がつきませんでした。地域ごとに、形も大きさも様々で、材質も微妙に違う。用途や農法にあわせて工夫されていたことがわかります。
 郷土玩具は北海道から沖縄まで分類されて展示してありました。その横にわらで作った、ほとんど等身大の道祖神の人形が2体。昔は村の入り口に立てて、疫病などの災いを防ぐ役目をしたのでしょう。
 さすがに郷土玩具の最後のところは、疲れて早足になりました。1時間以上はいたでしょうか。事務室に退室することを告げ荷物をもって大学をあとにしました。
 彼女がボランティアをしている「こもれびの里」では、今でもたくさんの農具が現役で活躍しているようですが、それは特別な例でしょう。たとえば刺し子は、寒さをしのぐために、重ねた布を縫ったのが始まりですが、現在ではダウンの防寒具が容易に手に入ります。テレビで漁師さんが着ているのを見ました。でも民具にはその時代を生きていた人々の息吹がやどっています。
 魔よけなどの信仰道具にそうしたものが如実に表れているように感じました。病気の平復を祈る絵馬や、母乳がたっぷり出るようにと願って作られたであろう、胸をはだけた女性の坐像などから、リアルに当時の人々の思いが伝わってきます。
 毎年、興味を持って見に来る学生が必ずいるということでした。
◇民族学の奥深さ
 “網野善彦「異形の王権」平凡社ライブラリー”を最近読み返していて、宮本常一が絵巻ものを読み解くという活動をしていることを知りました。前回読んだときは読み飛ばしたようです。
 網野善彦は本の冒頭で「絵巻物をはじめとする多様な絵画を、歴史学・民俗学・文学等の資料として『読む』試みが最近、ようやく本格的になってきた」と述べていて、宮本常一には関連の著作がかなりあるようです。
 絵巻物などを『読む』ためのさまざまな手法、豊かな手がかりを与えてくれる解説書を書いていて「絵引」という仕事もしているとありました。
 「それは渋沢敬三が主導した日本常民文化研究所が企んだ仕事の一つでもあって・・・」という記述を読むと、あらためて民俗学の奥深さについて考えさせられます。一世代の自分の生だけでなく、流れの中に自分の生を読み解く視点の大事さに気づかされます。
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