竹工房資料室 佐々工房
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令和8年4月(2026年)
神酒口の実演展示とトークイベントに参加して
◇展示会のお知らせ
 季刊「銀花」第 45 号春(昭和 56 年 3 月 30 日発行)に神酒口(ミキノクチ)の特集があり、制作に竹を使っていたため気になって、情報をひろうようにしていました。そんなある日、知人の竹細工職人から神酒口の実演とトークイベントを行うというハガキが届きました。場所は東京都文京区千石にあるギャラリー「KEIAN」で3月下旬から4月のはじめにかけてのイベントです。友人と二人で行ってみることにしました。
 竹職人の彼からもらったハガキに神酒口について次のような説明がありました。「神酒口(ミキノクチ)とは、正月の年中行事などのおり、神棚に供える一対の御神酒徳利のくちに挿す飾りものです。日本各地で様々な呼称があり、また使われる材料もいろいろですが、今回はその中でも熟練した技術を必要とする竹と経木を使った神酒口を展示、販売させていただきます」
◇展示の概要
 今回の展示では、経木の神酒口の制作者が一人、竹は三人の出品作品が見られるようです。神酒口について研究している女性が企画協力し、トークイベントはこの女性が二人の制作者と行うとのこと。一人は経木神酒口を制作する神具職人で「奈良・経木神酒口の製作 実演とお話」、もう一人は知人の竹細工職人で「日本各地の神酒口その歴史と今」というテーマでした。神酒口の製作実演もあって私と友人は後者を拝聴し製作実演も同日開催されたものを見学することにしました。
◇ギャラリーの様子
 ギャラリーは個人の住宅を開放したものということで、道路側の駐車場から3段の階段をあがってテラスに出ると、左側に受付と展示スペース、その向こうに実演開場があるようでした。展示スペースは六畳弱、実演スペースは定員が 15 名のようです。テラスには椅子とテーブルが一組あって休憩できるようになっていました。販売用の神酒口が別のテーブルに並んでいます。
 私たちは少し道に迷い受付時間ギリギリだったので、展示部分は少し見ただけで後回しにして実演開場に入りました。靴を脱いで飲み物を受け取り(実演、トークイベントとも飲み物付)席に着きました。実演者の竹細工職人を半円の中心にして、取り囲むようにソファーと丸椅子が配置されています。
◇実演開始・材料づくり
 彼は簡単な挨拶をしてすぐ手を動かし始めました。両端に節がついたままの一節分の竹の節を切り落としナイフで皮むきを始めました。普通、皮むきは専用の道具を使ってやるので、ナイフでやりはじめたときは驚きました。去年の 12 月に伐った青竹ということで、まだ皮が柔らかかったのかも。保管状態がよいためか竹はまだ青々としています。神酒口の材料となる竹は節の長い真竹を選ぶということです。
 一回り皮むきをすると、目分量で幅を決めて割っていきます。次にのこぎりで下から7,8センチ当たりのところに裏から横に切れ目を入れてそこから上の部分を剥ぎました。下の部分(御神酒徳利に挿したとき柄になる部分)は、皮むきをしたときも残してあって、表側は皮付きの青い状態のままです。
 ナイフで剥いだところをきれいに削って整え(切れ味のよいナイフでうらやましかった)、上方から縦に3,4センチぐらい(目算)のところまで、はじからナイフを入れていきました。真ん中まで行ったら反対側から同じ作業をして、幅 1.5 ㎝ぐらい(目算)の竹の上部が 40 本ぐらいに分かれました。そこから手でねじって(ここが技)、残した青竹の皮の近くまで細いひご状に裂くのですがこれが難しい。竹の繊維は縦に繋がっているので、イメージとしては、固まった繊維をほぐしながら、上部に入れた切れ目をそのまま延長していけばいいと思うのですが、簡単にはいきません。切れ目が入ったものがまわってきたので、挑戦してみましたが、いくらねじってもそれ以上は裂けませんでした。挑戦した人はみなギブアップして職人の手元に戻しました。
 竹の場合は真ん中真ん中と割っていくので、上部のはじからナイフを入れたことは衝撃でした。均一にナイフが入れられるのはどこかで(手か指を使って、あるいは傾きなどで)力のバランスを調整しているのでしょうか。割り方には、中央に少し太目の竹を残すやり方と均等に割れ目を入れていくやり方があるようです。
◇実演・形を作る
 ここまでが準備段階。次はこれを組んで(多くは左右に分けて編む)模様を作っていきます。幅や本数は作る神酒口によってかわるそうです。半分に分けてまとめた竹をひねって形を作り、一つ形を決めると糸できっちり縛って固定し、また次にひねって交差してという具合に模様を作りだします。福寿草、ミョウガ、といった形ができました。5,6種類ほど作って実演は終了。その間も質疑応答しながらの作業でした。
 長野県の松本に神酒口を伝承していこうとする作り手と教室? があるらしく、そこの生徒さんが参加していて、職人といろいろやりとりがありました。
◇二人の女性との出会い
 トークイベントは2時間後、夜の六時からだったので、早めの夕食を摂るつもりでギャラリーを出ようとすると「トークイベントの方も参加されるのですか?」と声をかけられました。ギャラリーに着いたとき展示室の入口に名前を書く紙が置いてあって、一緒に来た友人がそこに住所を記載したのですが、その時に話しかけてきた女性でした。住所が友人とほぼ同じだったようです。近所の様子を確認してみると、通りを挟んで同じような位置にあるマンションで、思わぬ出会いに二人は盛り上がっていました。
 テラスを下りようとしたら、今度は実演の参加者だった女性に話しかけられました。「竹の教室」についての質問でした。
 所属する「彩竹会」は、NHK文化センターの竹工芸教室が母体になっていて、講師は竹芸家の八木澤先生でした。多分、先生の息子さんが、常設展示している会場だと思うのですが、そこで、竹の教室が近くになくてと話すと、大宮の近くにあると教えてくれたと言います。一緒にいた彼女が「浦和から引っ越して・・・」と言った言葉をどこかで聞いて、もしかしたら知っているかもしれないと声をかけてきたようでした。
 ただ「彩竹会」は今、会員がいっぱいで新規の申し込みは断らざるをえない状況なのです。暮れから四人の新人が入会して、最初のうちはマンツーマンで指導する体制なので、誰を担当にするか、竹はどうするかで右往左往しました。12 月に竹伐りをして2月に油抜きをして、それから個人で天日干し、一年間分の竹がみなの手に渡った状態でした。申しわけなかったのですが、入会は空きができてからと説明し、ただ見学はできますと伝えて、名前をお聞きしました。以前、彩竹会で竹を伐っていた埼玉県宮代町に住んでいるということで、なんとか縁ができるといいのですが。
 駅までもどって食事する店を探しながら、こんなところで近くに住んでいる人と会うなんて奇遇だと彼女が言いました。彼女の住所を見て話しかけてきた女性のことです。なんとなくギャラリーのオーナーと顔が似ていたので「姉妹かしら。それで手伝っているのかな」「少なくとも関係者だよね」などと推測しました。
◇トークイベント開始
 六時近くにギャラリーに戻ると、さきほどの実演会場がトークイベントに早変わりして、席が半分近く埋まっています。資料を受け取り着席すると、友人が慌てた様子で肘をついてきました。竹細工職人の隣、講師として着席しているのは、さきほど友人とご近所だと判明したあの女性でした。あらら・・・。友人は首をすくめました。
 イベントが始まりました。まずは講師の女性が神酒口を研究するに至った経緯を話してくれました。研究を始めたのは50代になってからで、民俗学に興味をもって國學院大學に入学し、そこで神酒口に辿り着いたそうです。もともとは武蔵野美術大学の短期大学部の出身で、民俗学者の宮本常一が教授をしていた大学ですが、当時はその弟子の方が教えていたけれど、その時は民俗学にそれほど興味はなかったと言います。
 神酒口に出会った現在は、製作している人物に取材を重ね、資料を収集して研究を続けているということで、続いて披露されたスライドや渡された資料はその成果でした。
 資料には、紙や経木、板や真鍮、プラスチックでつくられた神酒口の写真、全国分布図、神酒口を売り歩く職人を描いた近世職人尽絵図、検索可能な資料や文献がまとめられていました。講師の方が、スライドを見ながらそれらを説明し、加えて、実際に神酒口を製作している作り手に取材している映像も流れました。
 竹細工職人も製作にいたる状況など話します。彼は神酒口でも、もう製作する人がいない作品を、今回、特に再現し展示したということでした。直接、職人に習いにも行き、もう作られていないものは写真や資料を探して製作したそうです。彼の神酒口はどれも、昔からの職人のものと比べて遜色ないもので、研鑽に励んだ様子がうかがえます。先の実演のときも手慣れた様子でした。
◇神酒口についての説明
 神酒口は青竹のみずみずしさが身上なので、11 月半ばころからつくりはじめ、暮れの歳の市に門松や注連縄に交じって販売されたと言います。その時期には花屋や雑貨屋でもあつかったそうで、神仏具を商う店では真鍮のものも売られたようです。ちなみに紙を折りたたんだもの、経木を組み合わせたもの、竹を細かく裂いて編んだものなど一時は 300 種類ぐらいあったようです。大きさは小型のものは5,6センチから12,13 センチ、大型のもので 30 センチほど。多くは対にして飾ります。供えるのは神棚だけでなく床の間や台所のかまどなど数ヶ所あるので、まとめて何組も買っていくものだったようです。
 歴史は古くなくて幕末から昭和初期までが全盛期。文献的には徳川の中期ぐらいまでさかのぼれるようですが、松の内を過ぎると役目を終えて、どんど焼きなどの行事で燃やされてしまうことも多く、また1年後には必ず新しいものと取り換えるので、実物はほとんど残らないといいます。細い竹で模様を編むので途中で折れたりして、たとえあっても保存が難しいということでした。
 「竹で編んだものに小さな金紙、赤紙を添えたり金縁をとったりしてにぎわいをそえるようになったのは比較的近年。戦前は竹や経木で編んだだけの目立たないものが多かった」(岡村吉右衛門・工芸家・「銀花」第 45 号)となれば骨董的な価値もあまりなく収集も難しい。
 竹製の神酒口でもっとも多彩な展開が見られたのは東京都青梅市、調布市と前述の記事にありましたが、配られた資料の「神酒口 全国分布図」を見ると、相模原・川崎、新潟県北蒲原郡中部(新発田市、胎内市、新潟市北区)なども盛んだったようで北海道から九州まで存在は確認できます。ただある地域で作られた神酒口が、その周辺だけで消費されているとは限らず、遠くまで伝播している例もあるということで、系統をたどって調査するのは難しそうです。
◇神酒口についての考察
 実演の時に、買った神酒口を飾るとき、例えば太くて御神酒徳利に入らないときは削ることもある、と聞いて思わず質問しました。神棚に飾るものだから神聖なものとして扱うのかと思ったのですが、あくまでも飾りということのようです。少なくとも自分が見知った範囲では、そういう取り扱いだったというのが竹職人の説明でした。
 そのため前述同書にある岡村吉右衛門の記述「神への供物、あるいは依り代として一般的なものは御幣。紙は貴重品、木や竹など、より身近な材料でこれに代わるものがつくられた」という推測、指摘にはうなずけるものがありました。正月に向けての飾り物。平面的な造形であることも御幣の代わりと考えれば納得できます。これを立体的な造形にしたらと、つい思ってしまいますが、それは別物。平面的な形で完結しているのでしょう。
 歳の市に備えて1軒で 1000 近くの神酒口を作っていたという話を聞くと驚きますが、材料が手に入れやすい青竹であること、1本の節無しの竹から 10 セットぐらいは作れる経済性(実演で3分の1ぐらいの竹で5種類ほど作ったことからのおおまかな推測)、あらためて習えばむずかしいかもしれないが、身近で見ていれば習得できそうな技術(もちろん簡単にはできません)、就業期間も短い。副業? として製作しやすい条件がそろっています。
 しかし現在は神棚のある家も減ってしまい、それにともなって歳の市でも神酒口の屋台を見かけることは稀になったといいます。造形的に美しいものなので、そこにスポットを当てた今回の展示が今後何かに繋がっていけばいいのですが。
◇展示の感想など
 帰り道、友人と感想を述べあいながら、こうしたものの継承の難しさについて話しました。久しぶりにあった知人の竹職人が研鑽を積み重ねていることにも感心して何度も話題にあがります。イベント後、今取り組んでいるという柘植櫛の作品も見せてもらいました。
 知らなかったとはいえ、講師の方とご近所トークをしてしまったことは申しわけない、と友人は恐縮していました。案内のようなことをしていたので、2人で係の人?と思ってしまったのです。今度会ったときは失礼のないようにしなければと言っていました。
 今年の暮れに、府中の大國魂神社に行ってみようかという話もでました。神酒口の屋台が出ていたら、来年に向けて新しいものを買いたい。
 今回、原稿を書くにあたって季刊銀花の神酒口の特集が大変参考になりました。メモを取らずにトークイベントを聞いたので、記憶を補完でき助かりました。神酒口の素晴らしい写真もたくさん掲載されているので、バックナンバーを手に取ることをお薦めします。
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